新世代の「車引」　　　　　　犬丸治
「テアトロ」２０２５年８月号

歌舞伎座の新菊五郎襲名披露公演も二か月目、中でも昼「車引」は新菊之助の梅王・鷹之資の松王それぞれ初役、祖父・父の面影を偲ばせて清新な舞台だ。
　菊之助の梅王は深編笠の間「互いに思いは須弥大海」などは持ち直すものの、語尾を飲み込むのか聴き取り辛い。編笠を取ってからの梅王は隈も十分乘り「来い来い来い」で身体を丸くしての引っ込みも力感がある。二度目の出では「五、六百」とせり上がってから「堪忍なんねえ」の元禄見得も腰を落としていい。終幕の「意趣遺恨」から幕切の見得など、上半身を反らせるだけ反らして自身を十分に痛めつけているその意気や良し。
鷹之資の松王は「待てエエ」の朗々たる第一声といい、暗く笑って「止めてみろエエ」と石投げの見得で極まる動きの鮮やかさ、敵役肚の手強さなど富十郎そっくりで胸が熱くなる。吉太朗の桜丸が「俊寛」千鳥に続く抜擢に応えている。種太郎の杉王がハキハキとしてキッパリとした出来。又五郎の時平が手堅く舞台を引き締める。

　「寺子屋」。新菊五郎の松王は二度目。葵太夫の床に「ヤアレお待ち下され、暫く」と被せる気組が充実し、作病の向こうに父親の苦悩がありありと覗く。その代わり「面改めて戻してプりょう」といった敵役肚が浮いている。付け回しでは、ぶつかって松王がトンと刀を突く時の源蔵との気味合いが良い。「机の数が一脚多い」「ナナ、何を馬鹿なッ」での父としての顔が良い。「無礼ものめ！」の極りも、形容の大きさより親の苦悩の振り幅が大きい。
　愛之助の源蔵は、「せまじきものは」で雀右衛門の戸浪を抱き寄せると、「筆法伝授」で丞相に救われた二人に戻るのが良い。萬太郎の玄蕃は二度目。口跡の良さからベりべりと勤めてはいるものの、童顔が損している。片岡亀蔵の吾作、精四郎の涎くり。
　二度目の出、松王の述懐は思いが迸るが「よもや貴殿は討ちはしまい」と言われた時の愛之助の「それが判っていて何故？」という思入が良い。それが「お身替り」という言葉で腑に落ち、源蔵の憎悪の憑き物が落ちていく。後段の「ニッコリと笑うて」もそうだが、源蔵もまた「我が子も同然」の弟子を手にかけた痛みを抱えて生きていく。この二人の男の共鳴が鮮明であった。
　今月は寺入りから出て、時蔵の千代は秀才を見て「そんならあのお子さまが」と気を替えるくだりが良く、扇にかこつけて門口からジッと小太郎を凝視する哀感がいい。二度目の千代の出では、愛之助の源蔵の「只今開けます」の殺気も良く、源蔵の鍔音、双方気味合いの笑いのあとの千代の「連れてまいりましょう」の声音に、小太郎の死を悟った哀しみが覗く。「若君菅秀才の御身替り」以下、イキを詰んでの気組も充実。「いろは送り」での「らむ憂い目見る親心」で乗物の遺骸をジッと見やるあたり切実な実感がある。魁春の園生の前が舞台を大きくする。

　昼の開幕劇は「元禄花見踊」。元禄の男女を引き連れての尾上右近の出雲の阿国、隼人の名古屋山三が並ぶと二枚羽子板。早間の連れ舞はイキが合い、「二人椀久」を観たい。
　「お祭り」。浅黄幕が切って落とされ仁左衛門の鳶頭が姿を見せると、舞台がパッと明るくなる。「頭、頭と立てられて」の照れや、上手、下手、中央と客席に挨拶する愛敬、若い者との所作ダテで片肌脱いでの極りなど齢を感じさせない。清元は栄寿太夫（尾上右近）斎寿兄弟。

　夜「暫」。柿の素襖を拡げて團十郎の鎌倉権五郎が元禄見得で極まると、流石に歌舞伎座の大舞台に相応しい。幕外の大太刀を担いでの引っ込みも巌のよう。若き團菊の時代到来を実感させる。
　芝翫のウケは役者顔が生き、鴈治郎の鯰坊主は「この胸が済まぬ」の歌が騒々しいのが玉に疵。雀右衛門の女鯰の「成田屋の兄さん」の楽屋落ちが愉しい。尾上右近の小金丸。
　太刀下は梅玉・魁春と大歌舞伎。右團次の成田五郎以下の腹出しのうち、グッと腰を落とした歌昇、歯切れの良い鷹之資が印象に残る。

　「口上」。口火を切る七代目菊五郎の声音が前月に続き朗々と若々しく誠に目出度い。仁左衛門・梅玉・松緑・團十郎の挨拶も心が籠る。伝統と革新に則るという新菊五郎、十一歳とは思えぬ大人びた菊之助の口上が末頼もしい。

　新菊五郎親子の「連獅子」は二年前の九月以来。菊五郎は前シテの「そもそもこれは貴くも」「峯を仰げば千丈の」といった、能取りものの位取りが行き届いている。新菊之助は、ひたすら端正に格を守って踊る。谷底に突き落とされ、水面に映る父の姿に這い上がる歓喜など、十一歳にして父の胸を借りるというより、ひとりの踊り手としてキチンと伍しているのに驚かされる。
　後ジテも父の白頭の風格、子の赤頭の荒ぶる血気。両者とも、毛もゆったりと大振りに廻しているのが王者の風である。「宗論」は愛之助と獅童。

　「芝浜革財布」は七代目菊五郎の当り役政五郎を松緑が初役で演じる。サッパリとした気性だが酒が敵の政五郎を松緑は篤実に見せ、夢だと聞かされて金を探し、自分で納得するおかしみ、おたつの異見に心開いて郁運びが良い。萬寿のおたつは七代目の相手役ですっかり手に入って、情のある異見の裏で、夫に嘘をついているやましさとの葛藤が上手い。政五郎の悪友たちは彦三郎・亀蔵と若返り、権十郎の家主、橘太郎の金貸おかねら劇団のアンサンブルが生きている。
　三年後の政五郎内は、萬寿のおたつがシットリ落ち着いて大いに綺麗。真相を語るくだりも情がこもり、それをサラリと受ける松緑ともども、爽やかな後味。

サンパール荒川・国立劇場歌舞伎鑑賞教室は忠臣蔵外伝「土屋主税」。「歌舞伎のみかた」（青虎）もおのずと「赤穂浪士」の解説が中心で、冒頭「忠臣蔵って知ってますか？」の問いに、手を挙げたのは教師ほか、数えるばかり。大河ドラマで取り上げたかどうかなどもはや関係なく、大衆芸能・巷説と観客との間に、もはや埋めようもない空隙があることを実感する。解説の中身は、「土屋主税」に登場するお園の兄である、浪士勝田新左衛門（蝶一郎）と大高源吾のＬＩＮＥで、討ち入り前夜の脱盟などを説明して、洒落ている。
　東京では三十五年ぶりの「土屋主税」。扇雀は「碁盤太平記」にしても、父坂田藤十郎より祖父二代目鴈治郎、時に曽祖父初代鴈治郎の面影があり、そこに鉱脈を見出そうともしている。
　実際、お園の琴に寛ぐ姿など回を重ねているだけに八千石の旗本らしい風格があり、お園に託して赤穂浪士たちに思いをいたす肚、其月らから聞く源吾の仕官話に色をなす気組が良い。しかし源吾の下の句「明日待たるるその宝船」の真意を知ってハッとなるくだりや「心を配り気を配り」で柱に手をやり向こうを見込んでの「明日待たるる、ヤ、ここじゃわい」、「我が先見は外れはあるまい」など見せ場聞かせ場は愛敬の乏しい人だけに、発散しないし、グッと舞台が大きくなるわけでもない。本望を遂げた源吾に二重の上から正対して労をねぎらうくだりは情味が出た。「初世鴈治郎のイメージの辛うじて伝えられる時間の生命しかない」とは利倉幸一の「土屋主税」評（「名作歌舞伎全集」解説）だが、逆にこれをそれ程面白い芝居にした初代の芸が逆算できるわけで、次代に伝える至難もそこにある。
　橘三郎の其角は、討ち入りと知っての「かたえの松をうち見やり」での足取りなど枯れている。新悟のお園はしっとりした中に、其角に「兄は兄、私は私」と言い切るあたりシンがあって良い。青虎の其月は、源吾への悪口も一徹ゆえで、嫌な奴に見えないのが良い。錦之助の源吾は其角寓居の辛抱立役ぶりから、終段浪士姿へのキッパリとした変わり目が映える。