勘三郎の鬼気　　犬丸　治

「テアトロ」２０１２年７月号

　平成中村座夜「髪結新三」。

普段見慣れた筈の勘三郎の新三が、一種異様な鬼気を放つ。
永代橋の出で、忠七に「持ち重りがする…放しなよ！」という時の得体の知れぬ凶暴さ。源七から十両を渡されて、手ごたえで察してフンという顔で金を改め見込み、時代に台詞を張って投げ返す呼吸。入墨を見せびらかせながらの啖呵。それらが、リアルでありながら、黙阿弥の世話物の様式にピタリと適っている。

　白子屋で、原作通り花道から出るのが面白い。如何にも帳場を廻りながら、カモを探している小悪党である。忠七の髪を整えながらの口説きも流れるよう。永代橋の「傘づくし」の台詞も、謳うようでいて、底にこの男のどす黒い情念が湧き出て、忠七をいたぶり、傘を開いての「ざまあみやがれ」まで堪能させる。

　後段は、橋之助の大家が枯れていないばかりか、新三の弱みに付け込む緩急に乏しく、一人芝居。勘三郎のとぼけた表情で救われた。梅玉の忠七が手に入った役だけに、対する新悟のお熊が荷が重い。弥十郎の源七が如何にもはまり役。萬次郎の後家が手堅く、勘九郎の勝奴に鋭さがあり、将来の新三が楽しみ。菊十郎の鰹売りが一級品。

　昼「め組の喧嘩」。
　勘三郎の辰五郎は、島崎で「同じ人間のことだから」で沸々と怒りを溜め、四ツ車をじっと見て障子をピシャリと閉めるイキ、八ツ山下の世話だんまりでの身のこなし、神明での九龍山との応酬の、時代世話の緩急とも優れている。珍しく「喜三郎内」が出る。だんまりほどぎで喜三郎（梅玉）から、煙草入れは「俺が拾った」と言われてハッとなる件が良い。この場が出ると、喜三郎の役が良くなるかわり、お仲があさはかに映るのが悩ましい。
　

　「辰五郎内」では辰五郎が辛抱立役に徹し、「何あいつらに負けるものけえ」の啖呵で溜飲が下がる。
扇雀のお仲も、纏を指しつける辺り鉄火で良い。最後、倅又八との別れの愁嘆も糸に乗るかに見せて、リアルに運ぶ。橋之助の四ツ車が、大銀杏も映えてゆったりと大きく、亀蔵の九龍山が役者顔が生きる。勘九郎の藤松の血気の若者ぶりが良い。最後の喧嘩を、客席も巻き込んでの「場内乱闘」にしたのが、如何にも中村座らしい工夫である。

　昼「十種香」。
七之助の八重垣姫は、型通りなのだが「煙も香華に」と向く件や、勝頼を覗き、動揺を抑え、一間を出て数珠を捨てる仕種など、心理的な段取りが無い。香を焚きしめた部屋で、ひたすら故人の絵像に心を寄せている、という情念が乏しいのである。「姫御前のあられもない」という件も、単に赤姫というだけの処理ではすまないはず。「生ある習いぞや」も、はじめに柱巻ありきの段取りになってしまっている。無論若書ゆえに致し方ないことで、将来はこの人の役である。

　勘九郎の濡衣は、最初の述懐に「盲勝頼」以来の性根があること、女房として、八重垣姫より大人びていること、法性の兜を盗んで欲しい、という件がキッパリしていて良い。扇雀の勝頼は品はあるが「我民間に育ち」以下の台詞にハラがない。弥十郎の謙信が堂々たるもの。橘太郎の白須賀がキビキビとし、亀蔵の小文治が手堅い。

　夜「毛抜」。
　橋之助の弾正は、花道の突袖の出など明朗闊達で、故松緑の衣鉢が重なる。毛抜・小柄を見込んでの見得の数々も、大時代。何より、事件を手際よく解決して行く足取りがしっかりしているのが良い。萬次郎の秀太郎の若衆ぶりが古風で貴重。
　　

　昼は染五郎・勘九郎の「弥生の花浅草祭」。
まず、勘九郎の神功皇后のキッパリとした位取り。「三社祭」になると、善玉・悪玉両者の踊り分けがはっきりとし、「そなた思えば」の双方のイキの良さ、「浮かれ拍子」の溌剌さが楽しめた。後段は、勘九郎の通人・赤頭の獅子が光る。

　夜「志賀山三番叟」（勘九郎）は、要は「舌出し三番叟」。最長老九十三翁小山三が勘三郎と共に口上を勤めたのが何より目出度い。

　演舞場昼・「女殺油地獄」は、愛之助東京初の与兵衛である。祈祷の法印を追い出したあと、与兵衛がキッと振り向いて徳兵衛を睨む。父は怖気づいたように顔を背ける。この一瞬の愛之助の凄みで河内屋という家庭がわかる。互いに遠慮しながら、何か得体の知れない恐怖に支配されている。それが悲劇を生む。徳庵堤の与兵衛は、叔父仁左衛門の薫陶よろしく、つっころばしの抽斗を生かして、如何にも浮薄な若者ぶりが、愛之助の背丈にピタリとはまっている。叔父（錦吾）に不行跡をとがめられ、いっそ小菊（松也）と駆け落ちと飛躍するのが刹那的である。河内屋では、家庭内暴力の凶暴ぶりもいいが、母親がどうせ止めてくれるだろうと甘えて、「出ていけ」というのが本気と分かり、引っ込みがつかなくなるあたりがこの若者らしい。豊島屋の殺しは、小兵衛（松之助好演）の金の催促が十分枷になっており、お吉に借金を断られ、呆然となるところに時の鐘が聴こえ、殺意が兆す運びが良い。その前の「不義になって」のネットリとした目遣いが叔父譲り。死骸を見下ろして途端に小心に立ち返るあたりも間然とするところがない。

　福助のお吉は、子持ちのしっかりした女房ぶりだが、与兵衛につけ入られる心の隙、ワキの甘さが欲しい。豊島屋の翫雀が篤実。秀太郎のおさわの武家の出らしい物堅さ、歌六の徳兵衛の実直、亀鶴の太兵衛、米吉のおかちらワキが手堅く、実感がある。

　夜は三島由紀夫「椿説弓張月」。
染五郎が、祖父白鸚ゆかりの為朝初役である。元々馬琴の脚色ゆえに、三島の独自性が発揮されていないが、今回改めて、上作ではないと思った。大序だの物見・物語・遠見・モドリといった歌舞伎の約束事ばかりが突出し、崇徳院に殉じるという物語の根幹が全く見えない。例えば遠近法を無視した大矢など如何にも小手先で、三島の丸本歌舞伎への感傷に付き合わされている、というのが実感。恐らく、初演された当時は、歌舞伎という「本歌」がしっかりしていたから、こういうデフォルメも受け入れられたのだろうが、今は観ていて何の感興も既視感も刺激しない。これは演者の責任ではないだろう。

　染五郎は祖父に比べてはいけないが、少壮の死地を求める武将ぶりがあるが、しどころが無い。光るのは七之助の白縫で、山塞で終始正調の赤姫ぶりで通し、武藤太（薪車）殺しの嗜虐味との落差が際立った。難船での「如何に八大竜王」の名乗りも、堂々たるものである。歌六の紀平治が古怪。玉太郎の為頼、鷹之資の舜天丸がしっかりしているほか、松也の亀が目立つ。翫雀の崇徳院と阿公は、ともに祖父鴈治郎初演のゆかりの役だが、ニン違い。紀平治と再会して、思わず娘に戻る愛嬌など、祖父独特のものだったろう。

　昼「西郷と豚姫」。
翫雀のお玉は、ニン・ガラともに会い、情が濃い。西郷と中村（亀鶴）のやり取りを下手でじっと聞くハラ、西郷への述懐、最後見送ってのほろ苦い幕切れが良い。獅童の西郷は如何にも作った巨体と豪傑笑いで、幕吏を一喝するあたり無理があるが、「心中は変替えじゃ」など巧まざるユーモアがある。児太郎の雛勇は、芝居は別にして「黒髪」を舞う端正さが「紅葉狩」の野菊と共に良い。

　「紅葉狩」は、福助の更科姫が悠揚たる赤姫ぶりで、二枚扇から維茂に目をつけ、「咲き乱れ」で本性を見せるくだりがあざとくなくて良い。後ジテも隈が乗る。獅童の維茂はせっかくのマスクなのに、しゃべるとセリフが棒読み、下手に去ろうとするこなしや、終段の立ち回りの太刀遣いにせよ、身体に踊りがない。愛之助の山神がキビキビとして良い。